27ゆりかもめ車両基地内で試乗会も盛大に行われた。臨海副都心開発の起爆剤と期待された世界都市博覧会の事業ガイド。平成6(1994)年10月27日に行われた世界都市博覧会の会場の建設起工式。中止はこの半年後に決定された。(上)開業時の有明駅。当時は終点のため軌道が駅の先までで途切れている。周辺はまだ本格的な開発が始まる前で、奥は周辺で最も早期に完成した有明コロシアム。その手前の白い半円の屋根は開業前のりんかい線「国際展示場」駅。(下)運輸省・建設省(当時)による開業検査の様子。 1988(昭和63)年の会社設立から 7年を経て、1995(平成7)年11月1日の開業に向けて工事が大詰めを迎えようとするなか、臨海副都心を会場として開催予定だった世界都市博覧会の中止が同年5月に決定します。計画を積極的に推し進めていた鈴木都知事に代わって、都市博中止を公約に掲げた青島幸男氏が 1995年春の都知事選で当選したことで、状況が一変したのです。 臨海副都心開発の起爆剤として期待されていた都市博の中止は大きな波紋を呼びました。整備が進められていた建物や施設などの工事はストップし、同エリアへの進出を断念したり一時的に見送ったりする企業も現れ、エリアの開発は大きくスローダウンします。 エリア開発と歩みを揃え、ときに競い合いながら準備を進め、開業まで半年を切っていた当社にもまた、都市博中止は大きな影響を及ぼしました。乗降客数の減少が見込まれ、運営規模を見直さざるを得ない状況に追い込まれます。 しかし、同エリアの開発は、均衡の取れた発展を目指す東京都にとって不可欠なものであり、そのためには同エリアと都心を結ぶ交通インフラの整備もまた不可欠でした。当社はこの状況を受けて、開業に向けた準備を継続させます。社内では、さまざまな調整作業が、時間との戦いのなかで敢行されました。Chapter01 開業からの 20年 開業前史〜2015年まで世界都市博覧会の中止1994
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