26(左)と(右上)は建設中の軌道上から駅舎を見る。屋根はアーチを描き、左右に少し張り出すデザインが見て取れる。(右下)は建設中の駅舎を下から見る。ともに1993(平成5)年1月撮影。検修棟内でプレス公開が行われ、一般紙、交通業界紙などメディアが集まった。(左上)(左下)は新橋の仮駅。当初は片面ホーム2面が向かい合わせになる 2面式の相対ホーム。後に本駅では島式1面2線となった。 (右)は JR と沿うように走るゆりかもめの軌道が汐留駅新橋・汐留地区を通って竹芝駅に向かうあたり。汐留地区周辺はまだ更地状態で、汐留駅も開業後7年間は利用されず通過した。第1節 開業前夜 [1982-1994] 1994(平成6)年7月7日、車両が初めて一般の方々の前に姿を見せることになりました。同年6月の車両基地への搬入によって人々の関心が高まったことを受けて、プレス公開を実施したのです。当日、検修棟の 5番線において、マスコミ関係者に対して 01編成が初披露され、新聞や鉄道関係雑誌などに取り上げられました。 続いて同年8月、鈴木俊一東京都知事(当時)はじめ都議会、都区関係者、臨海地域への進出企業、出資銀行、報道関係者など約250人の参加のもと、車両基地内の試走線を使った試乗会が開催されます。 同年11月には、有明駅~日の出駅まで本線入線試験が行われました。車両が初めてレインボーブリッジを渡る機会でもあり、上空には報道のヘリコプターが飛び交いました。そして 1995年3月2日、車両は新橋駅の仮駅まで全線入線を果たしたのです。 一方で、新しい鉄道の「顔」のひとつである駅舎のデザインについては、1988年に東京都建設局、港湾局、当社が合同で現地調査や資料収集を行いました。①国際化・情報化する街のイメージを投影する、②古い街と新しい街をつなぐ、共通するイメージを持った都市施設にする、③土木と建築、双方の構造美を表現する──という 3点をコンセプトとして打ち出し、これらを考慮したデザイン案から駅舎の基本デザインが決定されました。 こうして駅舎、ホーム、コンコースなどの設備工事が進展するなか、運輸、指令、車両、電気保安、施設整備などに携わる社員の研修も進められていきました。当時、開発途上だった臨海地域には交通網がほとんど整備されていなかったため、社員の多くは新木場エリアからチャーターバスに乗って通勤していました。 運行管理、電力管理、防災・設備管理、駅務管理、車庫管理などのシステム構築が急がれる一方、列車の安全運行に必要な設備や装置の設置、駅の券売機、精算機、定期券発行機、自動改札機などの設備検討や取り扱いの充実、運転間隔や車両編成を決める運転計画の決定なども進められていきました。これらは、コンピュータ制御による自動運転、無人駅というゆりかもめの特徴を最大限に発揮するためのプロセスでもありました。 また 1993年12月、東京都各局や地元3区との協議、関東運輸局への届け出を経て 12駅の駅名が決定します。翌軌道法による特別設計許可をそれぞれ得て、同年 6 月に1994年5月には、鉄道事業法による車両の特別構造許可、7000系車両01編成が車両基地に初搬入されました。ゆりかもめ開業30周年記念誌一般公開、そして全線入線1993
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