東京都を多心型都市へと転換していく目的で整備された臨海地域がより魅力的なエリアになるための道程に大きく貢献してきたゆりかもめの20年の軌跡を描く。第1 節開業前夜[1982-1994]第2 節開業[1992-2004]第3 節臨海地域の発展とともに[2005-2015]第1節開業前史~2015年まで開業からの20年22※1 新宿、池袋、渋谷、上野・浅草、錦糸町・亀戸、大崎に次ぐ 7番目の開発でした。※2 「都市・躍動とうるおい」をテーマに、国連、海外46都市、国内122自治体のほか 25 の企業グループ参加のもとで開催が予定されていました。 日本の首都・東京は、1868(明治元)年の明治維新によって日本が近代国家として歩み始めてから、戦争や自然災害など幾多の試練をくぐり抜けるなかで都市機能を強化し、日本の経済・文化をリードする存在として成長を遂げました。一方で産業や人口が集中したことで、さまざまな都市問題が顕在化してきました。 こうした問題への対応として、一点集中型から多心型都市構造への転換が必要であるとされ、1982(昭和57)年に策定された「第一次東京都長期計画」に、東京湾の港湾地区の再開発が盛り込まれることになります。この計画を具体化するものとして、東京湾13号埋立地を対象地区に、通信基地としての地方局、情報処理・加工拠点としてのテレコムセンター、インテリジェントビル群からなる「東京テレポートタウン」の建設が 1985年に構想されました。これをきっかけに、臨海地域の開発に注目が集まることになります。 こうして 1986年に東京都が発表した「第二次東京都長期計画」では、均衡が取れた多心型都市への積極的な推進を掲げ、臨海地の埋立地が 7番目の副都心「臨海副都心」※1として開発が進められることになりました。 この計画に基づいて「臨海部副都心開発基本構想」が策定されたのが 1987年、翌1988年には「臨海副都心開発事業化計画」のもとで開発は具体的な事業となります。 計画が目指したのは、東京テレポートに象徴される国際化・情報化の拠点とされ、周辺の商業施設・高層住宅などを配置した「職・住・遊」が隣り合う理想的な未来型都市を実現することでした。計画の推進について世界へ発信するため、1990年に「東京フロンティア基本計画」が発表され、「世界都市博覧会」※2(以下、都市博)の 1996年の開催が決定しました。ゆりかもめ開業30周年記念誌開業前夜[1982-1994]Chapter 01多心型都市構造への転換を図って1982
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