ゆりかもめ 30周年記念誌
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18Special Message今の整備についての説明を受け、話が止まらず(車両基地)終的には、東京都案を修正して豊洲駅まで加えた事業区分案を採用、インフラ整備費は両省同じになりました。運輸省と建設省の合意を短期間で得るため、東京都が間に立って落としどころを見つけていったのです。準拠法規も都の 3局がまとまって、運輸省補助区間については鉄道事業法、建設省補助区間については軌道法を適用すると働きかけて両省の了解を得ました。――― 3 つ目のお仕事である免許・特許取得でご苦労はありましたか? 経営主体について都港湾局が所管する第三セクターとする方針が決まり、東京臨海新交通株式会社(現・ゆりかもめ)が 1988年4月25日に設立されます。同社は 1カ月後に鉄道事業法の免許申請を運輸省、軌道法の特許申請を共管する建設省と運輸省に提出して、同年11月に免許・特許取得に至ります。人材と技術は都交通局の支援を得られ、資金も東京都がメインに出資し、銀行などの協力を得ました。景気が良かったことは幸いでしたね。立ち上げ時の会社は少数精鋭で、都の方々が中心、民間からは経営能力を持っている人材を招きました。会社設立から申請まで 1カ月ですし、需要予測などもありましたから、相当、苦労されたはずです。―――環境関連での承認獲得で大変なところはありましたか? 都市計画決定・環境影響評価については、汐留地区開発との調整のために、竹芝~有明間、新橋~竹芝間の 2段階で行いました。ゆりかもめはタイヤ走行で騒音も少ないですし、電気走行で全く排ガスは出さないので、それまで私が関わった街路や首都高速などの地元説明とは比較にならないほど喜ばれ、歓迎されました。―――無人運転や海上運行での安全面などはいかがでしょう? 計画立案時同様、検討委員会を設け、無人運転方式、電気方式、2扉車の採用、地震・風・積雪時の対応などが答申されました。土木構造設計基準案も、学識経験者や首都高速道路公団の職員などで入念に検討され、一般部と吊り橋部の荷重条件、部材区分などが示されます。阪神・淡路大震災の発生前ですが、関東大震災ほかいくつかの地震による鉄道橋・道路橋双方の基準を盛り込み、結果として東日本大震災でも揺らがないインフラをつくりました。吊り橋があるので、停止した際の救援要員の宿泊施設、走行に伴う技術的課題、乗り心地、故障対応も検討しています。また走行路の床は、風で車体が浮き上がったりしないようにグリッド状ではなくベタ打ちのコンクリートなので、吊り橋部分では下からの風の影響も大きいため、台風時などを想定した風洞実験を東京大学の施設で行ったことも印象に残っています。このため、できるだけグリッド状部分も残し、風が抜けるところは抜けるように工夫して作っています。創業の DNA を新しい世代へ紡ぐ――― 経営主体を第三セクターとしたのはどのような理由からですか? 公共交通は安全運転が要ですので、公営なら鉄道経営のノウハウを持っている東京都交通局になります。ただし、当時、交通局は赤字を抱えていて、地下鉄12号線(大江戸線)にも取り組んでいました。一方、第三セクターにすると、民間のノウハウ・資金は活用できます。これらが考慮されて、都が中心となり民間からも資金を得る第三セクターになったということです。――― 新交通システムの先行例で神戸と大阪を視察したそうですね。 神戸のポートアイランド線は無人運転で運営主体は第三セクター、大阪の南港ポートタウン線は無人運転可能の有人運転で、運営主体は大阪市交通局なので、双方のメリット・デメリットを率直に話してもらえました。また、いずれも市街地から埋立地へ伸びているので都市と港湾があり、準拠法規や事業区分の点でも参考になりました。ただゆりかもめは、副都心整備の先導役という重責があるので、その点では違うことを改めて感じました。――― 計画段階でも建設省と運輸省というお話がありましたが、実際の軌道建設でも法律や管轄は重要なのですね。 事業制度としては道路インフラ補助制度を活用することにしました。これは「都市モノレールの整備の促進に関する法律」に基づく制度で、支柱や桁などは道路管理者が、駅施設や車両、電気通信信号施設、車両基地などは経営主体が整備するという制度です。そして、街路部分は建設省の補助区間、臨港道路部分は運輸省の補助区間にしました。都市空間と港湾空間の調整のための工夫です。両省の意見を調整して 18案まで検討し、最ゆりかもめ開業30周年記念誌免許・特許取得と環境・安全対応

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