ゆりかもめ 30周年記念誌
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待望された臨海副都心開発の先導役、組織・所管の垣根を越えて早期実現16FURUKAWA Hiroki ゆりかもめスタート駅の新橋駅前にて1969年東京都庁入庁、都市計画局、企画審議室計画部、港湾局などを経て建設局長。東京都駐車場公社理事長、立川市都市計画審議会会長なども務める。工学博士。取材撮影 令和7年7月4日※1 都市構造の一極集中から多心型への転換に加え、国際化・情報化に対応すべく東京港13号埋立地を中心 とする臨海部に7番目の副都心、臨海副都心「東京テレポートタウン」の開発を進める方針を打ち出した。創業のDNAを新しい世代へ紡ぐ――― 古川様とゆりかもめのご関係をお教えください。 1986(昭和61)年12月から 1990(平成2)年7月までの 3年半、都港湾局計画部で、ゆりかもめの基本的な事項を定めた「東京臨海部新交通システム計画委員会最終報告」の取りまとめに携わり、①都市計画決定・環境影響評価、②港湾計画決定、③特許・免許、という 3 つの手続きに並行して取り組みました。「第2次東京都長期計画」※1 発表(1986年11月)直後の赴任で、同計画の策定を担当した関係から、臨海副都心開発と新交通システム建設が非常に重要かつ急務であることは認識しており、身の引き締まる思いで着任した記憶があります。――― 臨海副都心は、同じ副都心と位置付けられた 6カ所、たとえば新宿などと異なる印象があります。 広い埋立地で何もないところ(まだ海だったところもあります)に副都心を作るプロジェクトですから、都として非常に大きな決断でした。都市機能分散のためですが、もうひとつ、埋立地に住んでいる、あるいは働いている方々、さらに港湾局の賑わい空間を作って活性化したいという願いも背景にありました。臨海副都心の土地利用計画があるんですけれども、他の副都心、例えば新宿とかに比べると、オフィスやマンションなどの居住施設、さらにスポーツ施設などをゆったりとバランスよく配置するのが特色です。――― そうした副都心開発を支えるのがゆりかもめだったわけですね。 そうです。ゆりかもめは、都心部と新たにゼロから創る臨海副都心を結ぶ都市型公共交通機関として、開発の先導的な役割も担って整備されたものです。ゆりかもめが通らないとどうにもならない、先陣を切って整備しないと開発そのものが立ち行かないのでプレッシャーは強く感じました。古川 公毅 氏ゆりかもめ開業30周年記念誌  臨海副都心の計画策定から港湾局でゆりかもめの推進役へSpecial Message

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